志怪漫画

本日紹介するのは『李白の月』と『仙人の壺』(南伸坊著)です。
李白の月と仙人の壺
単行本が出たのは前世紀で、雑誌に連載されたのはそれよりも前。つまりかなり古い作品ですが、話のもととなった中国の志怪小説が書かれたのは二千年も前だったりするから、時代を超越した味わいです。

志怪小説

2冊は上下巻というか、姉妹本のようなもので、中身はどちらも志怪小説をもとにした8ページ(たまに4ページ)の漫画と、『蛇足』と題された4ページのエッセイの組み合わせ。短時間でちょろっと読んでしまえます。8ページあっても、1ページに1~2コマ程度なのです。
蛇足のエッセイも、蛇足どころか、この補足があって初めて本編の意味がわかる部分もあり、雑学としても充実しています。私なんか、これで数の単位を覚えました。一、十、百、千、万、億、兆、京、・・・、那由他、不可思議、無量大数。

志怪小説とは、怪(不思議な出来事)を書き記した小説。「志」にはしるすという意味があります。「小説」はこまごました記録といった意味です。昔の中国では「小説」はフィクションではありませんでした(酒見賢一のフィクション『後宮小説』をお読みになったかたはそのへんご存じでしょう)。
当時の人々は「事実」を記したつもりのようですが、現代人の目には、作り話にしか見えないものばかり。まあ、昔はどこの国でも、人々は魔物や神や妖怪や仙人や妖精などといっしょに暮らしていたのですから。

聊斎志異

志怪小説として有名なのが『聊斎志異』ですね。
子どものころ読んですごーく気に入ったのです。中身は全く覚えていませんが。
それで、高校の図書室に細かい文字がびっしり埋まった分厚い『聊斎志異』を見つけて、欣喜雀躍借り出したのですが、これが当て外れ。ひとつひとつが短くて、筋が通ってないというか、えっ、それで終わり? みたいなあっけらかんとした話ばかりでした。

長くても短くても、物語を構成するには、一般に起承転結という流れが組み込まれているものです。それがなく、起承転ですっぽかしたり、起承まででブチ切れたり・・・そんな印象を与えたのが、正統『聊斎志異』でした。

子ども時代に読んだのは、お子様向けに読みやすく無難な話を選んで、意訳し、多少は話をねじ曲げたりもした日本版フィクションだったのでしょう。

私にとっては「あーつまんなかった」で終わった『聊斎志異』ですが、南伸坊はこの「えっ、それで終わり?」な読後感が大好きで、そういう話ばっかり集めて読んだのだとか。

読んだあとにポンとそこらに放っぽらかしにされるような気分

と、前書きにあります。

『李白の月』には、『聊斎志異』から一編入っています。耳の中から小さな人が出てきて、それを見ていたら魂が抜けてしまった、てな。

『魂の形』は亡者が耳から魂を押し出す話で、古代中国人は魂は脳にあると、わりと合理的な考え方をしていたのでしょうか。

履物大切中国人

あっけない志怪小説ですが、伸坊センセイのペンにかかると、なんともいえない余韻をかもします。白っぽい画面、あっさりし過ぎの線が、志怪の雰囲気にぴったりです。目が点でも丸でも、登場人物の表情がとっても豊か。

衣装や景色、建物などはちゃんと考証を踏んでいると思われますが、時代不明の作品に関しては想像力を働かせて創造しているようです。

初出は青年コミック誌らしく、色っぽいシーンもときにあります。
で、ちょっとヘンなことに気づいちゃいました。
西洋人だってベッドでは裸足になるでしょうに、昔の中国人って、靴を履いたままなさってたの?
脱いだとしても、真っ先に着けるのは沓(靴)だったり。
沓
赤ちゃんと行水の場面でもお母様は靴だけは脱がないし。

こんなところにすぐ目が行っちゃう私って・・・。

  

非文明国日本

ところで、中国の古い話を読むと、中国人はなんてこまごまと記録をしていたんだろうと、いつも感嘆します。

三國志は200年ころの話ですが、おおぜいの武将の名前、字、生没年、どこでどんな活躍をしたかなどがわかっています。同時期の邪馬台国卑弥呼なんて、その中にちょこっと出てくるだけで、自国には全く痕跡がなく、存在さえあやふやです。
もっと昔、紀元前500年ころの孔子の言動も詳細が残り、いまだに信奉されています。
さらにはBC3000年くらいの皇帝一家のキャラクターだって・・・ほぼ伝説ではありますが。

孔子と同じころ、古代ギリシアではソクラテスが立派な思想を打ち立てました。

キリストの母マリアが聖書を読んでいると、天使が現れて懐妊を告げた・・・そうですが、庶民の娘でさえちゃんと字が読めたのですねえ。

古事記(700年ころ)は日本最古の歴史書と言われますが、じゃあそれ以前に、歴史書ではない書物があったのか。不明です。

各地で文化文明が花開いていたころ、日本人は土をこねておわんを作っていただけ? そう思うと、かなり恥ずかしい気分。
単に資料が残ってないだけかもしれないけど、残っていなさすぎ。やはり文明が遅れていたとしか思えません。

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濫読時代
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猫目淡々